大聖寺のみどころ
年代 | 当会関連事項 |
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明治元年 1868年 |
◎明治元年、明治維新、新政府誕生(王制復古) ◎本町辻に里程原票『これより金沢県迄、33里18丁33間』建立。現在標識石碑あり。 |
明治2年 1869年 |
◎藩籍奉還 前田利鬯が大聖寺藩知事となる。 |
明治3年 1870年 |
◎渡辺宗三(10代目)茶業を継ぐ。 渡辺家は、大聖寺では屈指の商家で、屋号を大和屋と称し、広く関西方面に進出。 明治23年県会議員に当選、明治31年1月29日永眠。享年55歳。 |
明治4年 1871年 |
◎新貨条例公布。 ◎廃藩置県となり、大聖寺県が設立されるが、金沢県に合併。 ◎明治4年7月1日に、廃藩置県と同時に、前田利鬯が藩知事を罷免。 ◎廃藩置県で230年続いた大聖寺藩前田家は消滅。 |
明治5年 1872年 |
◎金沢県を石川県と改称、県庁も石川郡美川町に移転し、一年後金沢に戻す。 江沼郡を第19区?22区として、戸長、副戸長等を置く。 |
明治6年 1873年 |
◎3月に『錦城小学校』開校。 その後場所、名称、制度改革と色々変遷あり。 |
明治8年 1874年 |
◎師範学校大聖寺校設立するも、2年間で廃校。 |
明治9年 1875年 |
◎江沼郡役所が設置される。 大聖寺藩、大聖寺県と移行し、大聖寺県が無くなると郡制となり、江沼郡大聖寺と変わる。 ◎鉛筆製造開始 大聖寺町にて、飛鳥井清、柿沢理平の手で鉛筆の製造を開始する。 ◎明治天皇北陸行幸で、大聖寺、動橋で御休憩。 ◎本町通り、国道指定される。 |
明治11年 1877年 |
◎国立第八十四銀行開業。 しかし昭和2年営業不振で、破綻閉鎖され債務者の取り付け騒ぎが起きる。 ◎九谷焼芸社創設。 飛鳥井清等により、本格的な陶芸社が設立。 ◎飛鳥井氏等の協力で、大聖寺で博覧会が開催される。 |
明治13年 1882年 |
◎石川県金沢病院分院設立(後の江沼病院・現在は平成9年に新築した公立加賀中央病院)。 初代院長に『稲坂謙吉氏』が就任。 |
明治16年 1882年 |
◎大聖寺大火。午後2時頃本町方面より出火、焼失家屋425戸、土蔵350棟焼失。 |
明治23年 1889年 |
◎大聖寺織物組合設立。 |
明治27年 1892年 |
◎梅田五月初代町長誕生。 (現在半身像地区会館前にあり) |
明治30年 1895年 |
◎福井~小松間鉄道開通。 (平成9年100周年記念祭併催) |
明治37年 1904年 |
◎対露宣戦布告 煙草専売法公布タバコ専売となる。 |
明治38年 1905年 |
◎日露戦争終結、講話条約締結。 アメリカの仲裁で、小村寿太郎を全権大使として、ポーツマスにて条約に調印するが、国民の期待が大きく、大使苦境に立つ。 |
明治43年 1910年 |
◎当時に大聖寺商工会の証あり 明治、大正、昭和の初期にかけての記録は見つからないが、故中村宗治氏の手記によれば、明治43年以降より組織としての商工会が存在していたようだ。 昭和2年の第八十四銀行破綻には、商工会有志が、町村長の有志と共に、中小預金者の救済に貸付を行ったとの記録がある。北國新聞は『適切なる処置』として、その行動を高く評価した記事を掲載している。 |
明治44年 1911年 |
◎大聖寺川水力電気会社設立。 ◎大聖寺に江沼郡実科女学校を設置。 (後の石川県立高等学校・現在の大聖寺高校) |
大正2年 1913年 |
◎山中・大聖寺間電車開通。 (現在は廃線、バス代行となる) ◎山代・山中村共に町制となる。 |
大正6年 1917年 |
◎「主婦の友」発刊一年で、最高180万部を発行。 |
大正7年 1918年 |
◎大日本絹糸紡績株式会社設立。 (後の帝国繊維、S34年中央繊維と帝国繊維が合併、現在跡地には村田機械) ◎富山で米騒動勃発。軈て全国に広がる。 |
大正9年 1920年 |
◎第一回国勢調査(内地人口5596万3053人と発表) ◎初の『メーデー』実施。 (東京の上野公園に1万人が集う) |
大正10年 1921年 |
◎東京大学『安田講堂』の寄付者『安田善次郎』安田財閥の創始者が、国粋主義者に暗殺される。 |
大正12年 1923年 |
◎石川県立『大聖寺中学校』開校、現在の大聖寺高校。 ◎金沢で最初の百貨店が開店する。 |
昭和2年 1927年 |
◎第八十四銀行が倒産 機屋は休業、町役場の職員や学校の先生の給料も支払いが出来なくなる。第八十四銀行の破綻は、第一次世界大戦の不況が続き、そのうえに関東大震災が重なり、経済界の痛手は深刻で、商工会有志が救済に奔走、先輩達の苦労が偲ばれる。 ◎大正末期より昭和初期時代の会長 山口宗一氏のプロフィール 大聖寺商工会の会長としての彼は、瀬越に生まれ村会議員から、県会議員となり、傍ら大聖寺商工会々長として、八十四銀行破綻に際して、其の救済に当たりその功は、非常に大きかったと報道された。 |
昭和6年 1931年 |
◎満洲事変勃発。関東軍の暴走。柳条溝事件に端を発し、日本のアジア侵攻が始まる。 |
昭和7年 |
◎大聖寺商工会館(兼江沼物産館)完成する。 現在の北陸銀行の地で、昭和5年10月頃より、当時の商工会長であった山口宗一氏(県会議員)が郡内に商工会館兼物産館の必要性を広く関係方面や一般の篤志家に呼びかけ、建設資金をつのって、苦労の末ようやく完成させた。 ◎第1回江沼物産大聖寺博覧会を開催する。 ◎山口商工会々長の努力が、大いに評価されたと当時の新聞等は伝えている。 |
昭和8年 1933年 |
◎7月26日大洪水のため、商店の営業がストップする。 |
昭和9年 1934年 |
◎大聖寺に大火。9月9日午前2時50分頃、中町中央付近より出火、火勢は折からの強風に煽られ、周辺一帯を焼き、錦城小学校、江沼神社まで延焼、約7時間燃えてようやく鎮火したが、焼失家屋347戸、諸官庁はことごとく焼失の大惨事となる。この大火の標語に『忘れるな町民9,9,9』と言って、町民の最大教訓とする。 |
昭和12年 1937年 |
◎日中戦争で、国内は軍需特需景気で、個人消費が一時的に沸騰する。 |
昭和15年 1940年 |
◎敵性語廃止(洋風の名前禁止) ◎大政翼賛会発足(先輩・永井柳太郎吠える) |
昭和16年 1941年 |
◎6月に塩屋海岸にて当会主催の素人相撲大会を開催。 ◎12月8日、太平洋戦争勃発。 日本国民総力を挙げて、臨戦体制となる。兵役義務にある者はむろんの事、のちには学徒出陣、女子挺身隊として招集され、国内軍需工場や、前線へと送り出され、銃後の護りとなり、全国民は苦慮の日々が続く。 太平洋戦争勃発に従い、先に発令された『国家総動員法』の公布に基づき、全ての組合は有名無実となる。 |
昭和17年 1942年 |
◎青年、壮年男子は特別の事由が無い限り、招集される。 ◎衣料キップ制導入、生活必需品は通帳配給制が導入される。 |
昭和20年 1945年 |
◎昭和20年8月15日、昭和天皇終戦を宣言。 終戦となるが、敗戦である。毎日が芋粥、スイトンなどが主食で、誠に苦しい毎日であった。 ◎闇市慢延、配給 米だけでは生きて行けず、闇取引が市場の主役を占める。 |
昭和21年 1946年 |
◎商工会館開放 戦争引き上げ者に会館の一部を貸し、マーケットとして営業を開始。 |
昭和23年 1948年 |
◎福井大震災発生する。 大聖寺、江沼郡内でも多大の被害が発生。 戦後処理も出来ない中での地震で、復興に相当の時間が掛かることが懸念された。 |
昭和24年 1949年 |
◎シャウプ勧告で、税制の基本ができ、現在も青色申告として使用されている。 |
昭和25年 1950年 |
◎ジェーン台風来襲。 ◎警察予備隊が発足。 ポツダム政令により警察予備隊として出来たが52年には安保隊に改変、54年には自衛隊と改称。 ◎ノーモア・ヒロシマ、原爆禁止運動が盛り上がる。 ◎闇取引も終局を迎え、各統制令も次第に緩和され、自ずと商工業組合の必要性を感じ、下準備にかかる。 |
昭和27年 1952年 |
◎大聖寺商工会の事務所でもあった商工会館(江沼物産館)が、3月8日会館使用人の電気コンロの不始末により火災が発生し焼失する。 ◎4月11日『大聖寺商工会』が設立総会開催。 大東亜戦争勃発に伴い、全ての組合に国家総動員法が適用され、各組合が消滅の状態となっていたが、終戦後しだいに世の中が落ち着きを取り戻すに従い、業者間より、自ずと組織を作ろうとする気運が生まれ、ついに4月11日に大聖寺商工会(仮称)が産声を上げた。 会員数は235名で発足。 ◎設立時の会長、帰山小作氏。 ◎法令により税制が『青色申告制度』となる。 |
昭和33年 1958年 |
◎加賀市が誕生。9カ町村合併で加賀市となり、初代市長に『新家熊吉氏』が選挙の結果当選し就任。 誕生当時市の人口は『54,267人』であった。 |
昭和34年 1959年 |
◎伊勢湾台風と集中豪雨で、大洪水となる。 床上浸水家屋3,777戸、床下浸水家屋3,644戸の大洪水となる。 ◎市政発足祝賀式典挙行。 ◎市政祝賀の一つのイベントとして、市中の輪踊り大会や仮装行列を、当時の商工会が先頭に立ち行事に参加し、市内各所を巡回。 後に始まる『十万石まつり』に、商工会が主導的立場で参加する。 現在では(平成15年度)第41回と回を重ね、大聖寺町民の心のよりどころとして、今後益々発展していく事を願う。 ◎国民年金法公布。 個人経営者には、無くてはならない制度ではあるが、長寿大国日本の将来を思うと、最近は心配する声が多い。 |
昭和35年 1960年 |
◎市役所新庁舎落成竣工。 大聖寺町時代の庁舎を、南町の現在に移転新築落成される。 |
昭和37年 1962年 |
◎加賀市商工会設立。初代会長に『大野徳太郎氏』が選任される。昭和43年12月に加賀商工会議所設立で閉鎖される。 ◎年末大売り出しで企画した『島倉千代子ショー』を開催。一流歌手のイベントで、人気上々で終了。 ◎加賀市青色申告会連合会創設。 最近の不況で会員の減少が目立つ。 |
昭和38年 1963年 |
◎大聖寺商工会を、会員総意で『大聖寺商工振興会』と改称。 ◎商工まつりとして、毎年9月頃に実施していたイベントも、この年より大聖寺区長会との共催となり、輪踊りは商店会や企業単位で参加し各町内を踊りまわった。 その後色々と変遷をして、現在の『十万石まつり』として、大聖寺の町民を始め、近隣近郷の人々からも次第に評価を受けるまつりとなり大聖寺藩を偲ぶイベントとして定着する。 ◎『38豪雪』 年末より年始にかけ大雪が北陸地方を襲い、大聖寺でも甚大なる被害発生、交通機関は一切不通、商売は10日間出来なかった。 ◎ボーリング大会 当会でも『ボーリング大会』を開催。 ◎アメリカでのスーパー方式が当たり、日本で最初にスーパーマーケット登場、10年後のスーパー方式の店が急増、薄利多売が当たったのである。 |
昭和39年 1964年 |
◎国道八号線が開通。 ◎中元大売り出しに『美空ひばり歌謡ショー』御招待会、大いに張り切るが、当会独自の企画では無理、招待券を50名に進呈して、金沢でのショー見学に参加。 ◎東京オリンピック開催。第18回オリンピック東京大会が10月10日?24日まで、94カ国参加で開催。 ◎新幹線開通開業。 東京オリンピックに合わせ10月1日より東海道新幹線が華々しく開業する。 |
昭和40年 1965年 |
◎石川県立大聖寺実業高等学校開校。 ◎山陽特殊鋼倒産、負債総額480億円。戦後最高となる。 |
昭和41年 1966年 |
◎当会と密接な関係となる、ダイヤスタンプ会が発足する。 現在ではキララカードとシールの二本立てとなっているが、将来はキララカード一本立てとなる予定。 |
昭和43年 1968年 |
◎加賀商工会議所設立。 当会と最も深い関係となる会議所設立は力強いパートナーの誕生である。 同会設立により、昭和37年に設立された、加賀市商工会は、その任を終え閉鎖される。 ◎『年末年始大売り出し』に当時売り出し中の『大川橋蔵ショー』を開催。 錦城小学校講堂でのショーは、人気抜群で隙間無く満員御礼。 ◎昭和40年秋頃より、景気は上向き始め、43年には『いざなぎ景気』到来、結局45年7月まで、57カ月間の長期大型景気を記録。 現在の出口の見えない不況から思うと、素晴らしい時代であった。 |
昭和44年 1969年 |
◎加賀市商工振興会連合会設立。 ◎片山津温泉の中心街から出火。温泉旅館を含む39戸が灰になる大火となる。 |
昭和45年 1970年 |
◎作見駅が『加賀温泉駅』としてスタートする。 特急停車駅と位置付け営業を開始する。 この温泉駅開業に際し、大聖寺では南町商店会をはじめ各商店会の有志、また振興会役員が一致結束して、温泉駅誘致反対運動を大々的に展開するが、大聖寺地区に利あらず涙をのむ。 しかし今思うと、当時の闘争に付帯条件として、大聖寺へのアクセス道路の付設を条件にしていれば、温泉駅より大聖寺地内に通ずる道路が、早く出来ていたのではないだろうか?...現在都市計画道路として路線引きはされてはいるが実現までには、相当時間がかかりそうだ。 ◎年末年始大売り出しの企画に『三橋美智也ショー』を開催。 |
昭和46年 1971年 |
◎ドルショックの衝撃 8月15日、米国ニクソン大統領は、突如としてドルの金交換停止を発表した為、ドルショック発生。 ◎加賀市青色申告会発足。現在も継続中。 |
昭和47年 1972年 |
◎全国的に『コンビニエンス・ストアー』がオープンする。 消費者は手軽く便利、経営者は人手不足をカバー又簡単 に開店可能。 ◎この夏の大売り出しには『青江美奈歌謡ショー』との謳い文句で、賑々しく中元売り出しを開催する。 9月に県体育館にてショーを開催する。 (新体育館完成での祭事) ◎『ユニー・ミリオンプラザ』オープン。 |
昭和48年 1973年 |
◎オイルショック、日本経済に大異変起こる。 ◎買い占めにより加賀市でもトイレットペーパー等が稀少となり、各家庭での買い占めが始まる。現代版三白と言われ、紙、洗剤、砂糖の業者は、笑いが止まらなかったらしい。 ◎北陸自動車道『小松~丸岡間』開通。 ◎加賀市市政15周年を記念して『加賀市物産展』を開催。 |
昭和49年 1974年 |
◎中元売り出しご招待会を『北島三郎ショー』との触れ込みイベントを打ち、人気を煽る。 10月に県体育館にて、歌謡ショーを開催する。 ◎大店舗法の実情を、法令に従い会議所職員と、当会役員で、法に違反が無いか?こと細かく調査する。 |
昭和50年 1975年 |
◎『商工ニュース』第1号を発刊。 ニュース発刊も、年三回で発刊したが経費節約のため平成10年度より、年二回に減らす。 ◎当会の大売り出しは、この頃より抽選会に移行した。 |
昭和53年 1978年 |
◎市政20周年記念式典開催。 ◎加賀美術館オープン(東町)。 ◎加賀商工会議所設立10周年。 |
昭和54年 1979年 |
◎武道館(東町)と文化会館(山代)オープン。 |
昭和55年 1980年 |
◎加賀市まつり協賛『商工パレード』に初参加する。 ◎当会々員共通商品券を発行する。 (平成3年3月31日廃止) |
昭和56年 1981年 |
◎56豪雪。年末から年開けにかけて降った積雪は「38豪雪」次ぐ豪雪となった。 56大洪水と豪雪に見舞われ、後片付けや除雪に明け暮れて商売は開店休業状態となった一年間であった。 |
昭和57年 1982年 |
◎大聖寺観光協会が創設。初代会長に『小中出安雄氏』を選任。以下役員数名選出。 |
昭和58年 1983年 |
◎加賀市商店会連盟発足。 ◎ダイオキシン(有機塩素化合物)他に例を見ない猛毒物質で、この年頃より騒ぎ出す。 |
昭和59年 1984年 |
◎中元大売り出しに、温泉御招待会実施。 山代温泉ホテル『富士屋』に60名を御招待。 ◎会員春季研修旅行を実施『湯村温泉と舞鶴海上自衛隊 見学の旅』参加者合計44名。 ◎パソコン通信本格的となる。 |
昭和60年 1985年 |
◎年末年始の売り出しに、『豪華温泉御一泊御招待』とのタイトルで、大売り出しを実施。 1月23日に片山津温泉『向陽』に80名を招待。 ◎中元大売り出しに、山中温泉ホテル『紫水園』に70名を招待。 温泉御招待会も、マンネリ化を否めず、個人単位での招待券発行に変更する。 |
昭和62年 1987年 |
◎当会の会員並びに従業員を対象に、9月6日~7日『瀬戸大橋と徳島の旅』実施。参加者40名。 ◎第一回親睦ゴルフ大会開催。 ◎南町商店会では、商店会活性化のイベントとして、初めて『駅前祭り』開催。 |
昭和63年 1988年 |
◎会員親睦第一回『ボーリング大会』開催。24名参加。以後毎年2月11日(建国記念日)に開催してきたが、平成11年で中止。 ◎会員並びに従業員研修旅行『三州足袋助屋敷、鳳来寺観光と岐阜県未来博見学の旅』実施。 ◎年末年始大売り出しには、シール集めて満冊22冊で『ゆのくに白雲閣』に69名を御招待(各自個人で行く方式で) |
平成元年 1989年 |
◎『十万石まつり大聖寺350年』前年祭開催。 ◎昭和63年末から平成元年の年始にかけての大売り出しには、台紙満冊22冊で山中温泉『百峰閣』に御招待とのタイ トルで、人気を煽るも、結果は今一つであった。 今回の大売り出しは、当会を軸にダイヤスタンプ会、ブルーチップ、オープンスタンプが合同で大売り出しを実施し、人気をあおるが、成果が上がらず今後事業内容を検討すべきという声が上がった。 |
平成2年 1990年 |
◎「十万石まつり大聖寺藩350年祭」本祭開催 ◎バブル経済崩壊。実態経済以上に膨れ上がった泡の部分。いずれ消えて無くなることは必然。 |
平成3年 1989年 |
◎当会主催、県のバックアップで、商業フェスティバル『ふるさと育創′91』開催。 法華坊水守神社境内一円で実施し、バザールテントにてバザー市を開店、河川敷の石舞台に有名芸人を招待してのショーを華々しく開催、当会の意気盛んな所を披露。 ◎新町商店会オープンスタンプ会と、ダイヤスタンプ会が合併。 ◎10月に会員並びに従業員研修旅行に『白骨温泉と上高地、乗鞍高山の旅』実施、参加者23名。 |
平成4年 1992年 |
◎『ふるさと育創′92』開催。 前年に引き続き、開催、来年に続く。 ◎会員親睦に研修旅行『新発田市内観光と越後七不思議巡り』の旅行。新発田市は加賀市と友好都市の関係にある。参加者31名。 |
平成5年 1993年 |
◎今年で3回目となる『ふるさと育創′93』開催。 今年度は気候を考え台風シーズンを避け5月23日に、期日を早めて開催。五月晴れの好天に恵まれ、人出も最高。 ◎商店主及び従業員研修旅行を、大阪南区にある『海遊館』と『紫峰人形美術館』へ見学の旅実施。 |
平成6年 1994年 |
◎商業フェスティバル『ふるさと育創′94』実施。実施最終年度に当たりダイヤスタンプ会のシールからカード(キララ)に切り替えの発表の場として、合同での開催。 5月22日に完成したばかりの『古九谷の杜』にて、華々しく開催し、絶大の人気を得る。 ◎会員研修親睦旅行として『彦根城、長島温泉の旅』を実施、参加者19名。 ◎価格破壊、バブル経済破壊後、希望小売り価格の低下を価格破壊と言う。オープン価格導入である。 |
平成7年 1995年 |
◎会員親睦研修旅行に『高山まつりと古川乗鞍岳の旅』を実施。参加者28名で、快晴に恵まれた乗鞍岳より一望千里、参加した価値大きく、山頂で壮快な気分を大いに満喫。 ◎東京で、地下鉄サリン殺人事件が起こる。オウム真理教団の仕業で、死者12名、重軽傷者10名、負傷者5、500名と、一大惨事を巻き起こす。 ◎1月17日に阪神大震災発生、被害甚大である。 |
平成8年 1996年 |
◎『ジャスコ加賀の里』が、加賀市の上河崎にオープン、大聖寺方面の購買力が極端に減少。 ◎商業ゼミ開講。振興会では、大型店舗対策として、ゼミなどを開き対策を協議するが、妙案無いものかと話し合い検索する。 ◎大型店舗法運用緩和と消費税アップで、零細業者にとっては、誠に苦しい時代の到来である。又景気低迷の不況にありながら、輪を掛けるがように消費税が3%から5%に上がった。 ◎8月4日研修視察旅行に『庄川峡と利賀村、富山民族民芸館の旅』実施する。 |
平成9年 1997年 |
◎商工ニュース第50号を発刊 昭和50年に第1号発刊以来、順調に発刊を続け、今年で50号発刊となり彩りを添えました。 ◎当会と観光協会合同で、『金沢の街』研修の旅を実施する。参加者両会合計38名で、当日夜は山代温泉に一泊。 ◎バブル経済の後遺症で、消費不況に喘ぐなか、大型店舗『アビオシティ加賀・平和堂』が加賀温泉駅前に賑々しくオープンする。 大聖寺一円の購買力は『ジャスコ』の開店で減少をたどる中、再度の大手の出店で、大聖寺商業界に、一大打撃を与える。 ◎8月5~6日に、会員親睦研修旅行として、新築オープンした『名古屋ドーム野球観戦と徳川美術館、トヨタ自動車工場見学の旅』を実施。参加者15名。 |
平成10年 1998年 |
◎会員親睦視察研修旅行に『墨俣一夜城と、蜜柑狩り』の旅を24名参加で実施。 ◎鍛冶町で大火。会員店舗が4店舗焼失。 ◎主催商工会議所、後援ダイヤスタンプ会によって『カード化事業についての作戦』ゼミ開講。 ◎加賀市政40周年式典開催。 |
平成11年 1999年 |
◎平成9年頃より、大型店舗対策の一環として『共通商品券』の発行の機運が起こり、各関係委員と協議の結果『加賀市商業振興事業協同組合』を創設。商品券発行に入る。 平成11年12月6日に、プレミア付き(1割引)で加賀市各所で大々的に発売。当会も販売使用に鋭意努力する。 ◎Vマートが岡町にオープンする。 |
平成12年 2000年 |
◎森 喜朗内閣誕生する。(石川県根上町出身) ◎当会主催『生き粋宵の市』を開催。南町元大聖寺警察署跡地で、暑い夏休みの真っ最中に盛大に開催。(共通商 品券使用可) ◎8月22日に、25年間営業を営んだ『ユニー』が、郊外の大型店舗の進出で、集客力を失い撤退。 (最寄りの商店街はゴーストタウン化しつつある。) ◎大型店舗法改正で、代わりに大型店立地法が成立、一方地元の零細な商店の行く末はどうなるのか? |
平成13年 2001年 |
◎1月15日よりの積雪で、商売が約1週間休業状態となる。 ◎当会メインバンク『だいしん信用組合』と『加賀信用組合』が債務超過で破綻する。 ◎店主従業員研修旅行で『近江商人発祥の地・五箇荘町』と佐川美術館で、平山画伯の絵画鑑賞の旅』実施する。参加者25名。 ◎ニューヨークで、同時多発テロ事件発生。世界貿易センタービルに大型旅客機が激突。 ◎アメリカ、テロ撲滅作戦開始。 (アフガニスタンで掃討作戦実行) ◎12月28日第二地方銀行『石川銀行』債務超過で破綻する。 |
平成14年 2002年 |
◎大聖寺商工振興会、創立50周年となる。 昭和27年4月11日に創立総会を開催して、本年4月11日で、満50周年となる。 ◎10月12日に創立50記念式典を市民会館3F大ホールで開催。 ◎『ユニー』撤退後の、東町近辺商店街の活性化を審議、善後策を協議するが具体策が見あたらない。 ◎『ユニー』店舗・立体駐車場撤去する。 ◎『プラント4』出店阻止対策会議開催する。 妙案を模索するが、実に難しい問題であり、ますます零細小売店を圧迫する事になるのは必定。 (立地法三案を研究し、出店阻止の方策を模索) |
平成15年 2003年 |
◎当会50周年記念誌を発刊 |
※『大聖寺商工振興会50周年記念誌』(大聖寺商工振興会発行)より
発行日:平成15年12月30日